バリに休暇で来ております。今年はとても忙しく、アメリカにいたときよりも二段階くらい飛んで昇給した感じなので、よくよく振り返ってみると成長したなと思います。まだまだ役割に対して能力が追いついていないなという感じなのですが、日々を一生懸命こなしつつ少しづつ成長していければと思います。休みのうちに考え方を書いておき、今後をどうするか考えておきたいなと思いまして、筆を執った次第です。日本語はあまり使わないので、読みづらいかも知れません。
- 私が今やっている仕事について
- 私が学んだことについて
- 仮説とはなんだったか
- 誤差について
- 論理的思考とは何で、なぜ必要か?
- 私が物理学について思っていること
博士号を取得して、4年がたち、アメリカ物理学会の会員も若手(アーリーキャリア4年目)ポジションも終わりに近づいてきたところです涙。ただ実験物理学者としてはかなりよいポジションを確立したと思います。テニュア(終身雇用、最後のアセスメントで消える可能性もまだありますが)もあたえられ、長いスパンで物事を考えられるようになりました。
私の今の仕事は装置担当者という仕事ですが、一般の人、たとえ科学者の人にも、あまりなじみの無い仕事かも知れません。私は物性物理学または物質科学と呼ばれる分野で物理学者の仕事をしてます。物理学者には実験物理学者と理論物理学者がいますが、私は実験物理学者として中性子散乱実験を専門としております。中性子散乱実験を主な実験手段として磁性、超伝導という物質中の物理現象を研究しています。中性子は研究用原子炉か陽子加速器を通して得られるため実験がかなり高額になります。そこで、大抵の国の研究はひとつの大きな研究所が原子炉と加速器の建設、運営し、そしてそこに付置している装置群を建設し、国内や国外の研究者(たんにユーザーとよぶ)を共有して実験を行います。ユーザーは装置の専門家ではありませんので、装置担当者が実験を彼らの遂行するのをお手伝いするという形です。
私は冷中性子三軸分光器という装置の担当者になりました。三軸分光器というのは1950年代に最初にカナダのBrockhouseとアメリカのShullらよってべつべつに製作されています。その貢献により両氏には1994年にノーベル賞が与えられています。主に固体物質の構造、または固体物質中の物理現象の励起を調べるために使われます。冷中性子というのも意味があって冷とは冷たいの冷ですが、ここではエネルギーが低い、つまり長い波長の中性子を用いることを言います。それにより、装置は高いエネルギー分解能を得ることが出来ます。一方で物質中の物理現象の高いエネルギーには届きにくいのですが、私は個人の戦略上、三軸分光器では狙ってこの冷中性子を選んでいます。
先ほど申し上げたように、装置は共用で使われるものであります。我々の装置で実行される実験数は年間に20件程度になります。この20件は各国の研究者から提案書(プロポーザル)が提出され、技術審査を経て、国際的に選別された実験レフェリーによる点数付けされた後、国際的に選別された専門家による会議審査、そして研究所の所長の承認を得て、中性子ビームタイムが配分されます。
我々の装置は実験日数に換算して、筆頭研究者の国籍の割合はオーストラリアが30パーセント(ただ、これはほとんど我々からです苦笑)、12パーセントが日本、中国が15パーセント、台湾が25パーセント、残りは北米、ヨーロッパ、韓国などから大体20パーセントほどになっております。日本は割合が少なく見えますが、日本人は本当のプロ集団で、実験の効率がとてもよく、日数ベースではがシェアが少なく見えます。今、アジアオセアニア地域では日本が研究炉JRR3Mを止めていることもあり、冷中性子三軸分光器でアクティブに動いているのは我々だけになります。需要(要求された実験日数)/供給(配分した実験日数)は2.2倍程度になっております。僕個人的にはよいサイエンスをもっとこの装置から出して知名度をあげて少なくとも3倍位までには持っていきたいところです。今の装置についている担当者は3人でしたが、ひとり抜けて2人になり、矢野がすこしづつ確実に実力をつけ台頭してきて、現在では大体60-パーセントあたりコントロールしています。
ここまで読まれた方は薄々気が付かれたと思われますが、つまり、矢野はこの地域でやくざのようなポジションにいることが分かるかと思います。実験プロポーザルの審査もレフェリーとして年間30本以上こなしており(つまりこの地域の研究者の研究の勉強をさせていただいて)、冷中性子三軸分光器を使用した実験は最もやらせてもらっており(自分以上に冷中性子三軸分光器の実験をやっている人はこの地球上に存在しないかも?)、もうボトルネックは自分の能力だけであります。そして、その伸びしろの無さにまさに恐怖を覚えているところでございます。
業界全体を見てみると、やはりヨーロッパとアメリカは強いですね。我々の業界は大きく分けて三つのECNS(ヨーロッパ中性子散乱学会)、ACNS(アメリカ中性子散乱学会)、AOCNS(アジアオセアニア中性子散乱)でくくられるかもしれません。AOCNSはもっと新しいですが、他もそこまで古くはありません。
アジア・オセアニアでは日本は正直に言いまして圧倒的に強いです。それは歴史的にも研究用原子炉を早く持てたこと、それにより科学者の層がそだち、加速器の研究も進められたことにあるとおもいます。研究用原子炉と加速器を同時に所有して運営できるの国はアメリカと日本しか今のところありません。ただ、この強さがどれだけ続くかはもちろん分かりませんし、僕らの世代が踏ん張りそして、東日本大地震の後に止めている研究用原子炉であるJRR3Mも再稼動しなければ、長くはながくは無いでしょう。また中性子散乱界のクリスチャー・ロナウドといわれている矢野氏が海外いますからね。
学会に所属する会員数ベースで日本人研究者の割合は大体アジアオセアニア地域の31パーセントほどを占めております。もっとも大きいグループです。たとえばオーストラリアとニュージーランドを合わせても14パーセント程度しかなりません。また長い間かけて築き上げてきたコミュニティなので質も高く層もとても厚いです。研究の質でもまだ中国の研究はアーリーアダプター、韓国はもうすこしアーリアーアダプターというところでしょうか?日本の研究者の実験プロポーザルは独創的です。僕も一生懸命サポートさせていただきたいと微力ながらおもっております。
また、私自身の研究ではヨーロッパとアメリカ、また日本での実験を先ほどの同じようなプロセスを通して、承認してもらえ、トップクラスの研究所で実験させていただき、研究者として、装置担当者として両方の視点から学ばせていただいております。やくざのようなポジションにいますが、だからこそ、僕が良い研究者にならなければ、良い研究が生まれないことになりかねません。上司もおそらくそのように考えており、私が海外での実験を時には無茶振り、時には黙認しているようです。前にもお話しましたが、僕は台湾の研究所に雇われここで仕事していますので、ヨーロッパ、アメリカ、日本へ研究で出張することは直接台湾への利益になるわけではありませんから。
普段は見ないのですが、たまたまYouTubeで北野たけしとイチローの対談をやっているのを見て、北野たけしがお笑いでも野球でも競争を勝ち残ってきた人たちだけが舞台に上がり、活躍することが出来ます。競争で勝ってきたのだから、我々はたくさんの負けたものの上に立っている。正々堂々と競争で勝ったのだから、同情のようなものは無いけど、気にはすると。何が出来るかといえば、自分は自分がキチンと仕事することなのだと。なるほどと思いました。
すこし僕も考えてみたいなと思いました。
まずは科学について。科学は人間によって作られるものであります。これはもともと自明のことですが、人は容易に忘れがちであります。これはとても大事なことなのです。今は情報があふれ、何が正しいのか正しくないのかわかりづらい時代になったのだと思います。情報があふれるのはよいことなのかもしれませんが、よく皆さんがいわれる”自分の頭で考える”なんてこともなかなか難しいことです。考えるとはどういうことだったか、理解するとはどういうことだったか、なんてことはなかなか振り返る時間がありません。
実験物理学者となり、装置の開発と運営をしながら、自分と他人の研究をこなしながら、やはり僕は科学というよりかは物理学を研究しているのだなと感じております。そして、ビジネスをしている多くの友人たちとは違う視点を持っていることを感じることがあります。よく物理学は難しいと思われている方もいるかも知れませんが、実際に難しいです。はは。ただ、僕からしてみたら物理学以外はもっと難しいと思うのです。なぜなら僕らは科学の中でももっとも基本的な素性が知れたものを扱っています。それですらなかなか難しいからであります。
もう一つは論理的思考とはなんだったか?ということも疑問におもっていたことであります。科学がこの論理的思考を使っているのはご存知でしょうが、これがビジネスの世界ですこし僕の理解とは離れるような理解をしている人を見かけていました。なので今一度、論理的思考とは何だったかと考えていました。単純には数学では数式で、物理学では数式と実験でA->Bと論理の十分性を担保しているわけであります。数学では論理は100パーセントですが、物理学では理論計算で確かめられた後、モデルが立てられ、それ実験誤差の範囲内で観測してやっいるわけであります。他の科学は僕にはよく分かりません。風が吹けば桶屋が儲かるのか?バタフライ効果なのか?は大きな違いであります。
もっとも最近疑問に思っていたのはなぜ人は分かるはずも無いことに対して分かったように意見しているのか?これはインターネットやSNSなどをみていて思っていました。これは東日本大地震の後、原発事故がおこり、そのあとの原発問題あたりからずっと考えていたことかもしれません。これは僕が考えながら、書いたものであります。議論はもちろん歓迎ですが、これを元に論争するつもりなどありません。僕の考えでなくてより正しいと思われるものを知りたい場合はテキスト等を参照ください。
では考えてみます。科学には下記のような理解の段階がありました。番号があがるにつれて、理解の段階があがっていきます。
1.予想(Conjecture)おそらく正しそうだと思われている提案で、かつ、正しくないとは証明されていない提案であります。
予想で有名なのはフェルマーの最終定理で出てきたTaniyama-Shimura Conjectureですね。アンドリューワイルズはこのアイデアを証明(Prove)したことがフェルマーの最終定理の章の証明(Proof)の中心部分でありました。予想とは今抱えている問題に対して方針を立てるようなことでしょうか?このような指針で問題は解けるのではないかと提案しているわけであります。
2.仮説(Hypothesis)確かめられた観測事実に対する説明として提案されるものであります。予想よりも強い主張になります。
科学ではないかもしれませんが、この仮説で僕が思いつくもっとも有名なものは効率的市場仮説です。この効率的市場仮説は市場は情報的に効率的であるという仮説でした。この仮説はどれだけの情報が効率的であるかによって実際には三つに立場がわかれます。WeakかSemi-StrongかStrongです。Weakの場合は市場で現在決まっている価格は過去の情報と連動しているわけではない。という立場。Semi-Strongは公開情報(Public available information)をすべて盛り込んでいるが、個人的に蓄積されている情報(Personal information)は盛り込まれていない。Strongは公開されている情報も個人的に情報もすべて現在の価格に盛り込まれているとするものであります。
僕はSemiStrongを支持します。これが一番、腑に落ちるからです。
英語ではPrivate information とPublic available informationですから、なかなか訳がうまく思い浮かびません。個人情報と訳すと少し違いますから。パブリック情報とプライベート情報としてみます。これら情報は新聞を考えてみると分かりやすいかも知れません。新聞はパブリック情報ですね。なので新聞をみて、ニュースに株価に直結するような情報を得て、株式を買っても遅いわけです。でも、僕はSemiStrongを支持しますから、もし過去すべての新聞をかき集めてきて、またIRやCEOのコメントを集め、ファイナンシャルステイトメントを分析して、IRから企業戦略を理解し、CEOのコメントからこれから会社に起こることを予想し、過去のパターンなどを分析して、この企業の株価は近々上昇するかもしれない、今は安くもしくは高く売られていると判断するわけですね。たとえば。
スノーボールを読めば分かりますが、ウォーレンバフェットはがオマハに毎晩届いたウォールストリートジャーナルを翌朝に各家庭に配られる前に、前の晩のうちに手に入れることが出来ました。つまりパブリック情報を先に手にすることができました。今はインターネットがありますから、この部分は効率化してきていますね。彼はさらに、公開されたすべての情報から、個人的に経験、分析、によりプライベート情報を引き出すことが出来るということです。さて、どうやって今の時代そのプライベート情報と引き出すか。
そうです。だから私はSemiStrongを支持するからといって、自分でプライベート情報を集めて、市場を打ち負かそうとはおもいません。なぜならそれには多大な労力がかかる。それだけではありません。知識や経験も。だからプロの仕事だとおもっているからであります。自分に十分な資金があり、それで億単位以上稼げるのであれば、やるかも知れませんが、数十万―数百万のためにやりません。いずれにせよ市場を打ち負かすなんて普通の人は考えるべきものではありません。私であればプロに任せます。(まあプロも負けまくってますが笑)
ここまで書いたのは研究も似ているなとおもっているからです。私らは論文を読みますが、これはこれは誰もが知ることが出来るパブリック情報なのです。このパブリック情報を元に研究してももちろんいいのですが、そうなると勝算が大きいとはいえません。なぜなら研究においてはパブリック情報の出し手が一番その科学について詳しく、そして先頭を走っているからです。これですこし分かりましたでしょうか?科学で最先端に追いつくということが簡単ではないということが、優秀な人がトップスピードで先頭を走っていることに追いつくのは簡単なことではないのです。だから日本は今トップスピードで走っている国の一つですが、一度遅れたら、なかなか取り戻せるものではないのです。
ではどうしようかというと論文をたくさん読んだり、違う視点で読んで、自分なりに見出した法則やいまだに誰も手をつけてない現象にめをつけ、自分なりにアイデアをだし、予想し、仮説を立て、その仮説を検証する手段を開発し、仮説を検証し、論じて、そして認められればよいわけです。それが独創的で、かつ科学的な貢献が大きいとき、その科学者の貢献は大きいといえるのではないでしょうか?
では次の段階に行きましょう。もうこれからはあまり詳しく書きません。
3.定立、命題、論文(Thesis)とは証明されたStatement(日本語が思いつかない)ではありませんが、議論を展開する前提として用いることが出来るまでに検証されたものです。博士論文や普段僕らが執筆しているような科学論文はこれに当たります。
4.理論(Theory)はよく検証された物理現象に対する説明であり、多くの科学者が同意しているものであります。
理論があればモデルが立てられます。理論があるから、モデルが立てられる。この世の中に正しいモデルというものは存在しません、あるのは有用なモデルだけであるとある統計家がいいましたが、これは思慮深いものであります。つまりモデルはその理論が適用できる範囲内で現象を説明できる。理論、モデルには適用範囲があるということです。よい物理理論家(実験物理学者の視点からですみません)は自分の理論の適用範囲をよく理解されているものだとおもいます。
5.法則(Physical Law)とは物理現象の説明として、理論的観点からよく検証され、実験的観測を通して一般化されたものです。物理の法則して成り立てば、物理現象は予測することが出来ます。
たとえばニュートンの力学から一般化された万有引力は物理学の法則ですから、この力学をつかって、この法則を使って立てたモデルの範囲内で物理現象を予測することが出来ます。惑星の運動などを予測するためにはこの法則を使っているのだと思います。アインシュタインの理論(Theory)から重力波が予測され、それを検出されたのが最近の物理学の大きな話題でした。この理論を使って予測されるものがすべて(実際には十分に)あたるようだと人が理解するとすれば物理法則(Physical Law)になるのでしょうかね。
そう考えると、企業のR&Dなんかは4や5をつかって、ビジネスにつなげようとしているわけですね。昔は3なんかもやっていたのかも知れませんね。僕らの基礎研究は1-3をメインに、3-5もやっているひともいますね。研究者の僕らはこの予想、そして仮説から論文に持っていくことを主に主戦場にしているわけです。したがって、この1-3のプロセスをどれだけ質を上げて行っているかの差が実験物理学者の才能の必要条件の一つではないかと思っています。
自分で予想を立てたか、データを精査したか、そして仮説を立てたか?その仮説を検証したか?その検証した仮説をデータが説明できたか?その仮説が正しければ、その仮説から立てられる予測が当たったか?何が分かって、何が分からなかったか?このステップを正しい目的の下、高い目標に向かって、高い質で丁寧にやるのが、科学者の才能でないかと。そしてそれを楽しめるのが天才でしょう。
ここでやっと疑問の答えがみえて来ました。そうかと、僕がインターネット等をみて疑問に思っていたことが。人は予想した後、自分の予想が正しいと信じたまますごしてしまうのだと。仮説すら立てません。忘れるのは、我々は決断をした後にそれがどれが正しかったかどうかを検証しないからです。ナンバーワンセースルマンが、どんなに論理が自己中なセールスストラテジーを立てようが、売れてしまえば、忘れてしまうのです。もちろんセースルマンの立場を否定しているわけではなくて、ポイントは我々は意志を決定した後、それが正しかったかどうかを検証することを我々は怠ることが多いということです。なぜならそれらは終わったことだから。
この意志決定の精度をキチンと分析し、常に改善していく、そしてその意志の実行力も同時に上げていく。そのためには自発的に何か行動を起こさなければならない。人が同意するかしないかによって自分が正しいか間違っているかは決まらない。あなたは正しいかは事実と推論が正しいからだと思います。まあ、現実にはビジネスでは60-80パーセントで十分に仕事になり、科学は110パーセントを願っているということでしょうか。
次に、論理的思考が我々に必要なのでしょうか?私はそれを実は起業家であるElon Muskから学びました。実は僕らが本当に真に新しいことをしようとしたり、発見しようとしたら、我々は根本的な事実に立ち戻り、それを元に論理を立てて、現象を説明していかなければなりません。私らは論理的に物理現象を説明し、直感では見つけられないものを見つけます。探偵シャーロックホームズもどんなに信じられなくても、可能性があるものをすべて取り除いて、それしか残らないのであれば、それが真実でなのであるといいました。
それは僕がまったく今新しい装置の開発を通してやっと理解しました。僕がここ2年くらいで戦っていたのは誤差についてでした。すこし実験における誤差について復習してみましょう。誤差には二種類あります。一つは偶然誤差、もう一つは系統誤差です。
ここで僕が考えられる最も単純な実験を考えて見ます。それは定規で今飲んでいるビールのビンの長さを計るという実験です。一回の実験ではたとえば10センチという結果が出ます、何度も何度もやっていく。実測値はいつも同じ値ではありません(このような単純な実験では分かりづらいですが)試行ごとに偶然により得られる実験値が違います。あるときは9.9センチだったり、10.1センチだったり。ただ、たくさん試行を繰り返すとこの偶然による誤差を取り除くことができてある実験値が得られます。
ではこれは真の値でしょうか?違いますよね。私たちは系統誤差を忘れています。つまり、今の測定系に系統的に含まれているものはこの実験の繰り返しでは除去できません。考えてみてください。定規の長さは本当に10センチでしたか?実は知りませんよね。メーカーに問い合わせてください。そうすると誠実な担当者は答えてくれます。我々の工場では10センチプラスマイナス0.1mmで作っています。それ以上は勘弁してくれと、もっと高精度のものが欲しかったら、高いの買えと。つまり、今回測定に使っているA社製の定規がもし10センチー0.05mmであった場合、どうしますか?こんな単純な実験ですら単純ではないということが分かりますよね。また実験装置も出来合いのものがもうすでにたくさんありますので、研究者といわれる人々の中でもブラックボックス化してあまり考えていない人もいます。
私たちは今まで証明されていない物理学現象を観測しようとしている。そう、つまりそれを測る方法と装置も自分たちで作らなければいけません。新しい科学現象は誰も測ったことが無いからです。新しい装置を作るとこういうものを論理的に追い詰めて、テストし、証明し、改善していかなければいい装置にはなりません。
そう、良い装置を作る、良いサイエンスをするためには戦わなければなりません。上司は予想のレベルで批判を加えてくるわけです。そんなことは起こり無いだろうと、これはアメリカにいたときもそうでした。つまり、上司の仕事はそんなことは起こりえないというのが仕事で僕の仕事は起こりえて、こういうことだと説得することでした。これをひとつひとつ丁寧に行うことで力がついてくるものだと思っております。
大きな理由の一つは人は直感的にランダムというものを判断できないのです。僕は今グラフや図を持っていないので口頭での説明になってしまいますが、人間は本当にランダムに散布した点をなにも言わずに見せられるとこの現象はランダムな散布と答えることが出来ません。なぜなら我々の脳は何かしら、というかどうにかしてパターンを見出そうとしてしまうからです。なので、そういうバイアスを取り除いて数値的に解析するしかありません。
もうすこし、進んで考えて見ましょう。実際の実験では偶然誤差のよりは統計誤差というものを考えていることが多いです。統計誤差とは偶然誤差の一つで確率論的にしか測定できない場合に統計誤差として扱います。これは数学的に厳密に扱えます。たとえば中性子は、量子力学で扱いますから、一つ一つが波の性質をもつと同時に、ひとつひとつ数えることが出来ます。(量子化できる)、一つ一つ数えられる中性子はポアソン分布します。したがって数学的に厳密に扱えて、10000の中性子を検出効率1で測定した中性子の誤差はSQRT(N)=100になります。つまり統計誤差は10000+-100になります。丁度1パーセントですね。
つまり、統計誤差は扱える。では、装置を改良するためにこの系統誤差をそう最小化するか?につきます。そうですね。ここから戦いが始まるわけです。我々は実際に、たくさんの小さな装置、部品などを組み合わせて一つの装置を作っていますので、たとえば系統誤差が時間依存(周期的かそうでないのか)するのか、そうやっていひとつひとつ論理的に追い詰めていかなければ良い装置というものは出来ません。この誤差が統計誤差よりも大きくなるのであればそれがその装置のボトルネックとなってしまいます。こうなった場合、いくら、時間をかけて統計を溜めてもまったく意味が無いのです、なぜなら統計誤差よりも系統誤差が大きいからです。ではその系統誤差はどこからきますか?現場に立って、いろんな予想をし、仮説をたて、それを実験的にテストして、論理的に追い詰めていかなければなりません。最悪なときには取り除けない場合というのももちろんあります。
長かったですね。ここまで話したのは装置の建設についてです。そして、よい装置を建設できたらよいサイエンスが出来ます。サイエンスはここからですよ。笑。長げーよ。まじで。
装置担当の僕としてはこの統計誤差また系統誤差について正しく把握し、実験者にもっとも効率的でもっとも適当な、そしても最も成功率の高いと思われる測定を提案しないといけません。そして、論理的にこの系統誤差を理解しないと何が測れて、知らないといけません。そこに、新しい物理現象が自分の信じる統計誤差と系統誤差をこえてシグナルとして検出された場合に、これは本物であると思うわけです。それが本物なら。。。やっとここで、何じゃこりゃ???となるわけです。こんなことあり得ないと。サイエンスが始まっていくわけです。
だから、ここから面白くなってくるのです。たとえばこういう風に見つけた科学的現象は完全に哲学で言うところのPrioriなのか、そうではないのか。簡単に答えられなくなってくるわけです。そして理解するということもなかなか難しくなってくるわけであります。たとえば、僕の最も好きな本とPhysics and Beyond(日本語訳“部分と全体”)いう本の中でパウリというハイゼンベルグ(パウリはハイゼンベルグの研究室の先輩に当たる)のパウリがハイゼンベルグに正直に原子の内部に電子軌道があることを信じられるか?と聞く場面があります。我々は数式により実験的にも我々をそれを本当に心(頭では無くて)で感じるかとは違うのです。だから腑に落ちるという言葉はとても深いのです。本当に頭と心で理解したのかと。中性子は量子力学的実体ですから、波であり、粒子であります。僕は普段実験していても、不思議に思うことがあるんです。不思議だなと。
物理学者は新しいことを発見していきます。物理学者の底辺代表の矢野でも何とか新しいものを見つけよう、その新しいものは何かを解明しようと日々、うそ時々Baliでリラックスしながら、頑張っています。
物性物理学で主に私は磁性と超伝導をやっています。最初は磁性だけのつもりでしたし、自分は磁性を研究していると宣言していましたが、自分がやっていた物質が超伝導を示し、OMG(オーマイゴット)で超伝導にもつっこんでしまいました。へへ。
磁性学では物質中の磁性イオンの中の電子スピン、電子軌道から生まれる磁気モーメントの配列を解明する。またその磁気的な配列がどのように成り立つかを実際に波を起こさせてその波の振る舞いを見ています。波を見ることによりそれらの磁気モーメントがどれだけ強い力で配列しようとしているかを決めることができます。
最近僕が書いた論文では今まで30年位は解けていなかった磁性体の磁気構造を実験と計算から論理的に可能な限りおいつめて、4つの磁気構造しかありえないということを導き出しました。ただ、どうやらそれらの磁気構造ですら完全には実験事実を説明しないのです。ここで三つの可能性が考えられます。まず仮定としてつかった実験事実がちがったか、現在の実験精度ではこのそれが観測できないか、または磁気構造を解いたときに使った理論に使われている仮定が違うか?そのどれかです。3だと思っていて、そうなるとかなり大掛かりな研究になってきますが、その方向で頑張ってみようと思っています。
超伝導とは現代の物質科学の中でももっとも良く知られていてかつ難しい分野の一つであります。よく知られた性質は超伝導とは超と伝導ですから、電気伝導が超良い、つまり電子が物質中を抵抗なく伝導します。物質中を電子が抵抗もなく伝導するわけですから何がおきているのかと疑問に思うわけです。現在は電子がペアを組んでお互いに引力を持ち、物質中を伝播していると考えられています。ではどのようなメカニズムでこの電子がペアを作っているかが最大の問題なのです。電子格子相互作用というものが提唱されて、実証されて、ノーベル賞が得られていますが、どうやらそれだけではないようなのです。なんと磁性とも関連しているかもしれないと。今は僕はそこをやっています。
そうなると疑問に思ってきます。えっマジで?いくつもペアを可能性があるの?と。どんな超伝導が考えられるかという疑問もさることながら、ならば物質というは超伝導になりたいのか?どうなのかと?すべての物質はある条件下(極低温や高圧力下)で超伝導や磁性になるのか?だからもし宇宙がこれから冷えていって、すべての物質が絶対ゼロ度近くまで冷却されたらどうなるか?
他の宇宙にどうやっていくかはまだ想像もつきませんが笑。最近、希ガスのキセノンが高圧力・高温下で化合物を合成するのも分かりました。それらのまだ見たことも無い物質の物性はどうなっていて、どうなっていくのか?もし、そこまで行かなくても宇宙の室温は2.73Kですから、これから人類が宇宙にでていったら、物質科学でこれまで発見した物性(磁性、超伝導やその他のいろんな)の使い放題。つまり、宇宙は物性物理現象の宝石箱やー。となるわけです。
だから面白いんですよ。楽しいんですよ。本当に苦しいときはあるのですが、そういう時は遠くを見て、人類の未来をなんて勘違いをしながら、一歩一歩つめていくのであります。
もう一つ最後に、この世に存在するどんな問題にも共通しますが、問題自体に価値があるわけではありません。それがどんなに重要な問題であれ、崇高な問題であれ、ノーベル賞に値する問題であろうが、家族会議で話される問題であろうが、問題自体に価値があるわけではありません。それより重要なことは、その問題にどうに対応するかにひとの評価とは与えられるべきなのだと僕は信じています。
だから、我々、現代人は予想したレベルで分かったように思い人に色んなアドバイスなんてしなくて良くて、自分で問題を設定して、自分で問題を見つけ、そして自分が率先して問題に立ち向かう。そのために能力を使って生きたいのであります。そして、皆さんも自分のため、家族のため、そしてもし、余裕があれば、地域のため、そして、日本のため、そして、できれば世界のために自分の力を!!!
そのように生きられたら、人生は圧倒的に短いのです。
矢野真一郎 2016年9月3日インドネシア、バリ島にて