Do it one by one.

I am doing great. But I am not focused. I have three things I want to finish in the next 4 to 5 weeks. The first one is finishing up the current paper. The paper is almost finished but I have to check and make sure everything is ready for sending to my collaborators. The second one is the proposal deadline. We have the next proposal round on February 15th. I am writing several neutron scattering experiment proposals and I am excited about doing this. I have many projects I am currently interested in but I do not fully understand all of them. I have a great number of single crystals we can get I can see each I can do a good job to publish data. To do that, I have to investigate one by one. Finally, I have a polarized neutron scattering experiment in March, I should prepare for it. This time, I will investigate in detail the magnetic structure of some Fe oxides if I could succeed I can write a great paper I believe.

I am excited but I have to focus. I will do it one by one carefully.

最近、研究が楽しい。

日曜日の夜。週末はよく休めた。昨日はクロヌラビーチでゆっくり過ごせたし、今日は買い物をし美味しい料理を食べることができた。ただし暑いので食欲はあまりない。ここまで暑いとあまり考えることもできないがこれからの研究についてまた明日からへの準備として書いていきたい。

これから5週間ほど論文とかプロポーザルの執筆に集中できそうな時間がある。ここをどう活用するか?主に3つのことがこの5週間で重要なことである。

まずは論文が一応完成しそうなところに来た。これについては今週毎日丁寧に読んでコメントなどを直しながら完成させていきたい。これは今週終わらせる。本当にこれだけに集中してもいいかもしれない。そしたら英語を見てもらって再度共著者に配布したい。そのコメント後に投稿する。2月中に投稿できるように最大限頑張りたい。今年は5月までに重要な論文は目どころを付けおきたい。理想は3つ投稿したいところだがどうなるか?

次に我々には2月15日締め切りのプロポーザル提出期限がある。これに対して自分の装置に対して少なくとも2つできれば3つのプロポーザルを出したいと思う。これを頑張るとするとやはりあと11日-12日の仕事日の中で集中して終わらせていくしかない。一つづつ終わらせていくことが大事で前に『企画』という本で学んだように毎回毎回がプロポーザルの締め切りにきちっと企画として終わらせていくことが大事で研究者として重要なことだととらえている。あとは自分の装置に出してもらいたい課題は最大限サポートして装置の成果もたくさん挙げていけるように頑張っていきたい。

最後に5週間後にある実験の準備である。今回は偏極中性子散乱実験なのできちんと準備をして望んでいきたい。今回はどんな実験をするか綿密に計算を見直して準備をしたい。ちゃんと成功させたい。それを元にまた他の実験も挑戦したいのでこれを機に偏極中性子散乱実験に対する知識を深めておきたいのでしっかり準備しておきたい。

これら3つはすべて大事。ただし締め切りがあることから少々複雑だが、この三つの課題を総合的にとらえてこれから一日一日準備して過ごしていければと思う。まずは論文を終わらせる、そしてプロポーザルを準備しながら実験の準備をしていく。

最近は研究が楽しい。一つ一つは簡単ではないがこれからも研究をしていくためには一つ一つの論文を終わらせていくこと、一つ一つのプロポーザルを書いていくこと、実験していくこと、解析していくこと。これらをどんどんしていってより深く楽しく物質を見ていけるように今週からまた研究できることを楽しんでやっていきたい。論文を終わらせることは大変だが頑張る。いろんな物質を勉強してプロポーザルもたくさん書いていく。そして実験する。頑張るぞ。

中国語単語(Chinese Verbs)⑥衣食住⑦社交

⑥衣食住

  1. 穿:穿了一件厚毛衣。
  2. 脱:吧大衣脱了吧。
  3. 戴:上小学时就戴眼镜了。
  4. 吃:我想吃饺子。
  5. 吃饭:吃饭了吗?
  6. 尝:你尝尝咸淡如何?
  7. 喝:你想喝什么?
  8. 减肥:一定要减肥。
  9. 住:你住了几年了?
  10. 住在:你住在哪儿?

⑦社交

  1. 姓:你姓李,你呢?
  2. 叫:你叫什么名字?
  3. 等:我在车站等你。
  4. 参加:参加朋友的婚礼。
  5. 认识:我认识他。
  6. 碰见:今天碰见了老同学。
  7. 介绍:我来给你介绍一下。
  8. 请客:今天我请客。
  9. 送:我送他生日礼物。
  10. 送给:我吧票送给你。
  11. 送礼:春节时大家互相送礼。
  12. 关照:请大家关照一下。
  13. 欢饮:我随时欢饮你。
  14. 看望:他经常来看望我。

When are the happiest times for scientists? Dreaming.

Get ready for the experimental proposals

Once in six months, we have a proposals deadline. We are accepting the experiment proposal for neutron scattering experiments all over the world. I am in charge of a cold triple-axis spectrometer so I want to collect very interesting experimental proposals every round. Also, I have to make sure that the experiment is suitable for our instrument. There are many things to consider.

Firstly, I have to make sure we can cover the range in momentum and energy space we want to explore with the material. Secondly, I personally like large single-crystal very much because we can many things to explore. Also, if the single crystal is rare, that would be great. Thirdly, we would like to study neutron inelastic scattering or neutron scattering with polarized neutrons because these are our advantage so I can use my expertise there. There are only a handful of instruments can do what we can do. Finally, I would like to study high-quality science. That excites me. How do I know that the quality of science is high? I know when I saw it!

But sometimes, finding a good science before we actually do the experiment is hard. In that case, the easiest one is finding something new, such as new single crystals or single-crystal no one has done the neutron scattering experiment, especially on inelastic neutron scattering or polarized neutron scattering. Then, we can at least find something new. So it is worth publishing. When we have a new single crystal, I am very happy but the first thing I have to make sure of is what people already have studied for the material. If there is not, I need to know why people have not measured yet. So I do literature surveys on the material and see what we can do on that material.

This time, luckily, it seems we have too many single crystals, this is too much overjoying. Several professors offered me to study single crystals to investigate and I can pick up whatever the single crystals? What? I am very happy but I have to spend substantial time to do the literature survey and estimation which single crystals sample work for us. This is one of the happiest times for scientists. I think when we are making plans is the happiest time and when we are finishing the first draft of the manuscript is the hardest time.

So luckily, I have many ideas to finish off writing my proposals while I am helping others to write this round. I have to do the calculation and the data analysis as well. I am very happy but it is a bit overwhelmed. I am not sure I can finish all the writing before the deadline which is two weeks time.

I will do my best. For this blog, I can’t disclose my ideas at this point. However, I am thinking I could try to write all processes of one of the projects before I will write the manuscript. As you know usually scientists do not show them but this could be a test. By doing so maybe others can read my progress here online, so I have to push myself harder to finish my own paper. I think this is an idea to try.

本のレビュー9②【人間の建設】岡潔・小林秀雄

破壊だけの自然科学

この章では岡が特に現代物理学における数学者の立場からの批判について書いてある。特に相対性理論について数学的立場からの批判を行っている。僕の理解不足か勘違いであるかもしれないし1965年以前のことだからしれないが岡の批判は当てはまっていないと思う。岡は相対性理論が実験不可のものであるから、物理学が近似的に実験が可能な物理学公理体系から超越的な公理体系になってしまい、物理が知的に独立していないという。彼は現在の物理学は数学者が数学的に批判すれば、物理学ではない。なんと言いますか、哲学の一種ですか。という。

そこで自然科学は破壊の科学で建設は何もしていないという。現代にいたってはなかなかこれには同意できないが、批判されることに対しては感謝できていろいろなことが考えられる。数学者と物理学者はまだ話していないと言っているが現代でもそのような気がするが。。残念ながら。でもトポロジーとかは少し進んでいるのか。僕もすこし考えやネットワークを広げなければと思う。数学者、物理学者、化学者とか分野にわたって喧々諤々と議論するっていう場面は現代ではあまりないしそれはこの時代からすでに始まっていたのかもしれない。そう考えると自分の物理学の研究でも新しい見え方とか自分にしか出来なさそうなこと一生懸命数学者とコラボしてみるとか考えられるな。。少し頭にとどめておきたいところ。

岡がいう。大きな問題が決して見えないというのが人類の現状です。物理で言えば、物理学的公理が哲学的公理に変わったことも気づかない。

ここでの批判は現代でも起きていることでもある。最近気になって読んでいたのはLost in Mathという本ですこし前に読んだので内容は忘れてしまっていたが基本的には対称性にというものに取りつかれて標準モデルを構築している理論物理が実験結果をうまくとらえられていない。物理学の立場ならば実験結果があればそれに合うように理論を再構築しなければいけない。しかし自然には美しい対称性があるべきだと思い込み受け入れられないということが現代でも起こっている。自然は我々の視点とか美意識でみてあるべき姿でいるわけではない。しかしそうと思いこむんでしまう。自然は美しく対称的であると。いままでもそれで沢山のことが説明できてきたと。しかし、そしてそれを元に学理を構築しようという試みはすでに物理学ではなく哲学の一種であるという批判が当てはまってしまう。よく考えると物理学はこういった状況に何度も歴史上見舞われてきてそれでも進化してきたのかもしれない。物理学は実験と理論双方があって理論が実験をないがしろにせずに学問を構築していくからこそ物理的公理体系であるということか。やはり。

アインシュタインという人間

おそらく岡は物理学者が嫌いだ。自然科学が弊害が多いと思っている。おそらく岡も小林も物理学をわかっているとはこの本を読んでいるうえでは思えないが、一つの発見としてはこの時代でももう専門分野で分断は起きていることがあるように思う。正直、岡も小林も無明と知性の低下を批判しながらも自らここに落ちてっているのではないかとすら思う。この本のテーマと彼らの会話を聞きながらやはりいろいろなことを学んでおいて学問もある一程度の余裕を持ちながらやらないと逆に当たり前のことに気が付けないようになっていくのではないかと思った。ハイゼンベルグの原理にしてもあの時代、ハイゼンベルグをはじめとする理論物理学者とカント派哲学者の対決を見ていてもまだまだ物理学者の量子力学の哲学的解釈もできていなかったし哲学の量子力学の理解も進んでいなかったことをハイゼンベルグの部分と全体を読んで思っていたが、数学と物理はそれ以上の差があったのかもしれない。あの頃はまだそういう時代だったのかもしれないと岡と小林の話を聞いていて考えた。

美的感動において

この章は正直あまりわからなかった。詩と絵について話をしているが両方とも疎いせいか話が分からなかった。

ただ、岡が章の最初に書いていた、日本は、戦後個人主義を取り入れたのだが、個人主義というものは日本国憲法の前文で書かれているような甘いものではない。それに同調して教育まで間違ってしまっている。その結果、現状はひどいことになっている。それに気づいて直してもらいたい。

ここには本書の最初から続く個性というものがわかっていないという二人の考え方がここでも続いていることがわかる。いろいろなテーマでものすごい情報量で話しているが根柢の問題意識というものは一貫しているという気がする。

人間の生きかた

ここでは人間の生き方というところではあるが主に文学特にトルストイとドストエフスキー、日本人は本居宣長などについてはながら理論とか体系とかは欧米から学んだものでもともと日本人には首尾一貫して理論をこしらえるなんて考えがもともとないんだということを小林がいう。

小林が言う。僕らも不思議なことだが、振り返ってみますと、20代でこれはと思ったことは変えていませんね。それを一歩も出ないのです。ただそれを少し詳しくしているだけです。

うーむ。なるほど。わかる気がするがわかりたくない気もする。研究を進めていくうえで博士論文の時にやったことがとても後々に影響することと同じことか?あの20代の頃に考えていて疑問に思っていたことの延長上に生涯の研究のキャリアがあるのか?ここはこの言葉についてよくよく考えておこう。むしろそこから抜けられないのであればこれまでの研究をしっかり復習して再度研究の行く先を見るということも大事かもしれない。新しいことをどんどんやりたくなっても来るがそもそも何がしたかったかと見直してみようと思う。物理で何が楽しいと思っていたか?なんで研究しているか?自分の性格も含めて時々考えてみることは結局、専門性と個性を見つめ直すことになり、研究者として重要なことだと考えるようになってきた。

批評家である小林がトルストイとドストエフスキーが両方とも偉いし、それは数学者である岡がリーマンとポアンカレどちらが好きかと小林に論じたって仕方がないですよといっていてこういう感覚は大事だなと思った。とにかく学者としても作家としても素晴らしいものを生み出したことは素直に受け入れてどのような分野でももう少し感覚的に評価していいのじゃないかって思った。この本を読んでいることがまさにそうだが。学者としての態度をここら辺の二人の掛け合いから学んだ。

無明の達人

ここではトルストイとドストエフスキーの話の続きながら、無明がテーマになっている。無明を知らないとむしろ極めないと物が見えない。ドラマにならないという。面白かったのはその後の議論でピカソもスペイン人を理解しないとわからないなと小林が言ったところから、やはり日本人には結局日本的なものしかわからないのだと岡と小林は言う。日本人が知れるものはやはり我々に関するものかもしれない。そういった点で前の章の本居宣長の話を思い出し、日本人はそもそも理論と体系なんて気にしなくて自分たちの考えを発展させてきたものだし、理論とか体系というのは西洋文化から借りて学んできたんだなということにもつながった。

いずれにせよ。文学を読んでこういう風に議論できるのは楽しいと思うから、やはり本はたくさん読んでおきたいなと思う。旅行もたくさんしておきたい。いろんな疑似経験、実経験をしていくと楽しくなるのだと感じる。

一という概念。

ここでまた数学的哲学的な議論に戻っていく。小林が数学者における一という観念という形で話し出したところで流れが変わる。岡は一を仮定して、一というものは否定しない。一はあるのかないのかわからないというが哲学的には一という数学的観念はPrioriであるということだろう。つまり一という意味とかなぜあるかというものは理性ではわからない。

そのあと議論は2や3など順序数の話になり、そうやって一から増えていく。単細胞から20億年かかって進化した人間については何もまだわかっていないよねという話になってくる。天才が生まれるのは環境か遺伝かという話になるがここら辺は現在の方が知見は溜まっているだろう。しかしいつの時代でも重要な議論なのかもしれない。議論としてはシンプルだがそれを話すのに科学、宗教、哲学の知識にわたってさらっと議論できるのが情報の密度の高さを示している。

ここらへんで3分の2ほどで今回はここらへんで終えようとおもう。次回は残りの部分を読んで書いていくつもりである。

中文:第五课(全二十课)

甲:你们有中文课吗?

乙:有。你们呢?

甲:我们也有。

乙:你们的课本是不是「初级中文」?

甲:不是,是 「基础中文」。

乙:我们的是 「初级中文」 。你们的课本有没有插图?

甲: 有。

乙: 我们的课本只有文字,没有插图。

甲 :有词汇表没有?

乙: 有。

甲 :那很好。

I will enjoy a day off

Tomorrow is Australia Day so we will be off tomorrow. I am doing an experiment now so I put a long scan so I can watch the experiment remotely.

These days, I am reading a book in Japanese. That book is about a discussion between one of the greatest mathematicians and an author who was known for literary criticism. The intellectual discussion was very stimulating. I really enjoy reading it. I got a lot of hints for my intellectual exploration. I will keep reading and hope I can share some here. Tomorrow, I want to use some of my time to think about it.

I am really enjoying my research these days, I believe 2022 is a very important year for my career. I would like to write as much as possible. So I can enjoy more writing and thinking.

Let’s do this.

本のレビュー9①【人間の建設】岡潔・小林秀雄 

学問を楽しむ心

学問は難しいものだから面白い。そして学問は非常に難しいもので、どうしても難しいことをやりたいと願う人だけが学者の資格を取れると小林は言っている。むずかしければ難しいほど面白いというのは誰にでもわかることですよ、そういう教育をしなくてはならないと僕は思うと小林は続ける。

この最初の導入で彼ら二人の会話を読みながら、30歳くらいの時に友人と話をしたことを思い出した。彼とは朝までお酒を飲みながらだったが喧々諤々と議論したことを覚えていて、彼は私の主張が全く受け入れられず、頑なに頭を縦に振らないことに納得がいかないようであった。おそらくそれを機に嫌われてしまったのではないかと思っているが、おそらく彼は今でも私を分からず屋だと思っていることだろうと思う。彼が言うには私は人にもっと学問を教えろということを言っていた。30歳イケイケだった私はそんな場合じゃない、自分が追及する学問をやることで精いっぱいであり、そんな余裕はみじんもない。そもそも教えてほしいっていう人に学問を教えることはできないという考え方だったからだ。どこかに学問をする資格なんてものがあるわけでもない、学問をするというのは意思と姿勢だけである。教えるなんてとんでもないと少し丸くなったが今でもそう思うことが多々ある。だから大学まで来て勉強教えてほしいというのは違うのよと言いたい。大学には環境がいくらでも整っているから好きなだけやりなさいよ。しかしこれは自分が無明であったんだと本書を読んで思い起こした。しかしながら、日本が貧しくなってきて変化が速い時代になりより成果が求められる時代ではそういう余裕も無くなってきたのかもしれない。。

しかし読み進めていくと彼らが持っている問題意識と私が今現在持っていることが全く一緒だったことがだんだんわかってくるのだが、これには素直に驚いた。なんと本書は1965年位に出ているものだからだ、まさに現代で起きていることではないか?この本を読んで自分の学者としての立ち位置が明確になったと思う。

無明ということ

人は自己中心に知情意し、感覚し、行為する。その自己中心的な広い意味の行為をしようとする本能を無明というと岡が話している。また人は無明を押さえさえすれば、やっていることが面白くなってくるということができると。

岡はいう。それほど私はピカソを高く評価しておりません。ああいう人がいてくれたら、無明のあることがよくわかって、倫理的効果があるから有意義だとしか思っていません。ピカソ自身は、無明を美だと思い違いして書いているのだろうと思われます。(中略)自我が強くなければ個性は出ない。個性の働きを持たなければ芸術品はつくれない、と考えていろいろやっていることは、いま日本も世界もそうです。良い絵がだんだん描けなくなっている原因の一つだと思います。

国を象徴する酒

ここでは小林が日本酒がうまくなくなった。酒に個性がなくなったという。僕らが若いころにがぶがぶ飲んでいた酒とはまるっきり違うのですよ。樽がなくなったでしょう。みんな瓶になりましたね。樽の香というものがありました。

ここでは岡が個性を重んずるということがどういうことか知らないのですねと。おもに小林が日本酒も小説も絵と同じでダメになっているという。世界の知力が低下しているとも。個性を競わせて、物を生かすということを忘れて、自分が作り出そうという方だけをやりだしたという。

ここらへんの文章はロジック的には世界のものが良くなくなってきた、知性の低下、個性、無明という問題意識について話している。

数学も個性を失う。

ここでは話が個性についてより深堀していくように議論が進んでいく。岡が言う。それがいわゆる個性いうもので全く似たところがない。そういういろいろな個性に共感が持てるというのは不思議ですが、そうなっていると思います。個性的なものを出してくればくるほど、共感が持ちやすいのです。

また以下の部分も面白い。小林が聞く。数学のいろいろな式の世界や数の世界を言葉に直すことはどうしてできないのでしょう。岡は、研究している途中のものは、言葉では言えませんが、出来上がってしまえば言葉で言えるのです。だから、できるだけ言葉で言い表して発表している。

この点にはかなり納得がいった。問題がわかったと思い論文にしてしまったことは言葉にできる。これば物理学でも同じようなことかな。論文にしたら自分が一から問題提起してすべて解いた問題なので専門家にも一般の人にもどのレベルに合わせても言葉に言い表すことができる状態になる。さらにその物理の歴史上の重要性、立ち位置などもわかる。

ここまででは個性や知力低下が問題意識としてあることが二人の会話でわかってくる。数学の体系を教えることが大変になってきていることをいう。これは今でも当てはまるのがおもしろい。物理でも過去10年の深化と進化といものはものすごくとても大学院で教えられるものではない。本では1930年以後の30年間の論文を大学院では読ませることはできないと言っているが、今では3年間の論文でも難しいだろう。まあそこは本質ではない。文脈で言うと本質は次の岡の言葉でこれが現代人にも刺さる。

世界の知力が低下すると暗黒時代になる。暗黒時代なると、物の良さがわからなくなる。真善美を問題にしようとしてもできないから、すぐに実社会に結びつけて考える。それしかできないから、それをするようになる。それが功利主義だと思います。西洋の歴史だって、ローマ時代は明らかな暗黒時代であって、あの時の思想は功利主義だったと思います。人は政治を重んじ、軍事を重んじ、土木工事を求める。そういうものしか認めない。現代もそういう時代になってきています。

科学的知性の限界

小林はいう。バッハの世界はこうであろうとか、言葉で表しますよね。最後には言葉にするわけです。岡はいう。文章を書くことなしに、思索を進めることはできません。書くから自分にもわかる。自分にさえわかればよいということで書きますが、やはり文章を書いているわけです。言葉で言い表すことなしには、人は長く思索できないのではないかと思います。

ここでは長くなっていて引用しないが、岡が自然が本当にあるかどうかわからない。自然があることを証明することは現在理性の世界といわれている範疇ではできない。ということ言う。数学は知性の世界のだけに存在していると考えてきたが、数学は知性の世界だけには存在しえないということが人は4000年かけてはじめてわかったという。実際に考えてみれば矛盾がないというのは感情の満足であるという。カント哲学で言っていることと似ているように思えるが岡は違うルートで似たような考えを導き出しているように思えた。

しかし驚いたのはそのあと岡と小林との対話は続き。小林はこうまとめる。わかりました。そうすると、岡さんの数学の世界というのは感情が土台の数学ですね。岡は答える。そうなんです。

人間と人生への無知

ここでもやはり世界の知性が下がっているとしか思えないと岡と小林は言う。数学の論文を読んでも音楽を聴いても、小説を読んでもそう結論するしか仕方ないという。

その後、ベルグソンとアインシュタインの衝突。感情を元にした科学の議論、アインシュタインが相対性理論を発表して原子爆弾が広島まで落ちるまでわずか25年しかかかっていないこと。それから時間とは何かという議論についてどういう風にかんがえるかなど。そしてキリスト教への議論そしてデカルトの哲学にわたって議論していく。

まだまだ三分の一くらいだが。今回はここらへんで終わろうと思う。読んでいて思うのは二人の思考がかなり深いながらも情報量の密度が高いということ。なかなか丁寧に読まないと僕の場合は言わんとしていることがわからなかった。

まずは学問とはどういうものか?という議論から始まり、非常に難しい学問だがどうしても難しいことをやりたいという人がやる。また学問をやるということは無明であるということ。つまり自己中心に知情意し、自己中心的な行為だということを話しているが、無明を抑えれば学問は楽しくなるという。そこから個性の話になり個性はあればあるほど共感が得られるということについて話していて個性とはどういうものだったか考えさせられるようになっている。数学という自然科学の学問をするうえで最後は言葉にしなくてはいけないということが直感とは少し違った。なるほどと今は思っているが正直まだ腑に落ちてはいない。科学知性の限界ではカント哲学の純粋理性批判のようにかっちりとした理論化はされていないが深い哲学が提示されていた。知情意にはかなりのヒントがあるように感じる。

ここまでで二人の問題意識は僕が理解したところでは世界の知性が低下しているということ。数学という自然科学のど真ん中の学問ですら知性だけの問題ではないのだが、現代人にはそれすら見えず、個性がなくなり、余裕がなくなり、実利にしか興味がなくなる功利主義がはこびっている。学問をする余裕や力がなくなっていて暗黒時代に向かっているということを述べられていると思う。まさに理性、感性、知性がなくなるからものが考えられない。

コロナにしても経済にしても政治にしても考える力がなく余裕が全くないので功利主義が蔓延る。なにやら今の時代のことを議論しているような気がするのだが。。。65年経って。今は暗黒時代であるということがハッキリとわかった。

中国語単語(Chinese Verbs)⑤生活

  1. 生活:他一直在上海生活。
  2. 做:你做什么工作?
  3. 做饭:他很会做饭。
  4. 做家务:每天早起做家务。
  5. 干:你干什么呢?
  6. 收到:他的邮件收到了。
  7. 接到:今天接到了回信。
  8. 找:你在找什么呢?
  9. 找到:你找到了吗?
  10. 要:全部干完要一个月。
  11. 醒:半夜醒了一次。
  12. 早起:明天我得早起。
  13. 起床:我早就起床了。
  14. 睡:这几天都睡得很晚。
  15. 睡觉:你每天几点睡觉?
  16. 洗:用洗衣机洗衣服。
  17. 洗脸:起床后向洗脸。
  18. 洗澡:他给孩子洗澡。
  19. 刷牙:饭后一定要刷牙。
  20. 漱口:用药漱口。
  21. 化妆:他正在化妆。
  22. 打扮:他打扮的很时髦。
  23. 买:我买了一台电脑。
  24. 买东西:先去超市买东西。
  25. 玩儿:孩子们在院子里玩儿。
  26. 用:可以让我用一下吗?
  27. 使用:请不要使用闪光灯。
  28. 还:去图书馆还书。
  29. 还给:已经还给图书馆了。
  30. 借:我接了一万日元。
  31. 借给:他借给我一万日元。
  32. 休息:先休息一会儿吧。
  33. 打扫:吧房间打扫了一下。
  34. 收拾:行李收拾好了吗?
  35. 整里:今天吧资料整理了。
  36. 搬家:我们打算搬家。
  37. 预订:票已经预订好了。
  38. 刷卡:可以刷卡吗?

Book review No.24: NUDGE: THE FINAL EDITION by Richard H. Thaler and Cass R. Sunstein.

The nudge final edition was very insightful and fun to read. I remember the time, more than 10 years ago, when behaviour economics got popular. I was very impressed and fascinated by the ideas. But for the nudge, I had not read by now and I regret it now. I believe this book is the result of accumulated knowledge of the field. I felt I am lucky to read the book. I have used the ideas in the book by myself but I should have known better. I could have done much better to architect my choice. I can’t digest all the ideas in this book all at once so I will read this book again. I leave some notes here to remember.

There are a lot of chances we can use nudge ourselves, an example in the introduction is the school cafeteria. The school could make more money by architecting students’ choices better however should the should maximize the profit even by making students less healthy? We could choose to nudge the student to make them more healthy by organizing how to get the foods properly, by architecting their choices.

There are several ideas I have learnt this time,

Loss aversion (1: Biases and Blunders): We like profit but we hate loss. There is an asymmetry here. We are happy when our stocks go up but we panicked when the stocks go down. I knew it but the book tells us that loss aversion can be used as a nudge. So if you want to discourage the use of plastic bags, should you give people a small amount of money for bringing their own reusable bag, or should you ask them to pay the same small amount of money for a plastic bag? Yes, the latter works!

The single most common mistake (4: When do we need a nudge): We are a choice architect. We are trying to decide how to design the choice environment, what kind of nudge is to offer and how subtle the nudge should be. What do we need to know is the best possible choice environment. However, perhaps, the single most common mistake any of us make is just forgetting something, as if this is a self-control problem. This is a great reminder of reminding people. People just sometimes forget it is OK for us just remind them to make sure they remember. I sometimes need to remind my collaborators to submit proposals to us before the deadline, maybe a week before the deadline! Since I am the one who cares most about the number of proposals to be submitted, reminding my users to submit for us can be a good nudge. People would just say “Oh, thanks for reminding me, I was gonna submit”

Omakase (4: When do we need a nudge): At a sushi bar, a tradition is to let a chef decides what you eat. Just ask for Omakase. You might get what you have never thought and you will eat well. It is particularly hard for people to make a decision when they have trouble translating the choice they face into the experience they will have. So making decisions is a hard job, even choosing music, so streaming music services got so popular. We don’t need to choose what music we should listen to.

#Sludge (8: #Sludge): Learning sludge is also an important thing. Many organizations appear to make this asymmetry between the ease of joining and the pain of leaving an important part of their business model. In the U.S., gyms and cable companies are notorious practitioners of this strategy. Some gyms required members to come to the gym in person if they wanted to cancel their membership that is a sludge. If the business subscription is easy to get by clicking a button but to cancel it you need to make a phone call and submit the signed document, that is a sludge. So we should be aware of them.

From Chapter 9 -12, the book is talking about money. Chapter 9, how to save money better for later in our lives, such as pensions. Let’s make savings automated, so you don’t need to think about it. Chapter 10, how do we build up a portfolio? People often chose a default fund provided and stick to like forever. Chapter 11 is about borrowing money like credit cards and mortgages. Chapter 12 is about insurance. The money is important for us, however I can imagine how much we avoid thinking seriously about these things. I have to nudge myself to make decisions better, I have learnt so much from each chapter.

Chapters 13 and 14 are talking about social problems. Chapter 13 is about organ donation. It is a difficult decision how society or country currently architect people’s choices about organ donations. Chapter 14 is about climate change, everyone has the same goal but it is not easy to reach. “If the goal is to make the environment cleaner, a simple idea is to make the green option the easy option. And if the goal is to make it really easy, make it automatic”. These two chapters are difficult problems to solve. By examining these problems seriously, we can find what we value.

Chapter 15, I believe the authors are trying to explain where, when and how the nudge can help us. That chapter was for showing their standpoint about the nudge by answering critiques they have gotten since the first edition of the nudge was published. I like this chapter because the authors explain what the nudge is and their philosophy on the nudge. There is someplace where mandates, bans, taxes, economic incentives make a lot of sense. However, while we keep our freedom of choice, a well-designed choice architect can achieve a lot.

I have learnt a lot by reading this book. Even I read this book a week ago, there are some ideas I keep thinking about. I want to make a better decision so I will keep coming back to this book to see what I can do.