私は29歳まで日本で過ごした純ジャパである。それからアメリカに2年3カ月そして今はオーストラリアに来て7年2カ月が過ぎてしまった。英語に関してはマンネリ化を感じていて日常生活で困るというか困っても無視するメンタルができてしまったがために向上心を忘れてしまったかのようだ。アメリカにいたときはものすごく努力していたがオーストラリアに来て努力を怠るようになってきた。むしろ特に給与が上がるわけでもない英語学習に時間を割くのは効率が悪いようにも思えてきていた。私は科学者であるから英語で論文を書くことが大事だし常に論文を読んでいて、またいろんな文章を英語で書いているが成長している気が全くしていなかった。数年前まで英語で本を読むのが好きで英語の本をたくさん読んでいたが私の最終目標である本を楽しみたいというレベルまで来たように錯覚してしまった時期もあり、あるとき難しい本に当たると読むのをやめてしまうなどということが起こった。何が起きたかは心理的には明らかで早く読みたい気が勝ってしまっているのだ。はやく情報を得たいという気持ちである。たくさん読まなければという気持ちもあった。ここで気を取り直そう。ゆっくり正しく読む。そして正攻法で英語力をきちんとつけて長い目で英語をきちんと物にしたいと思い直してところでこの本に出会った。
本書の前半では井筒俊彦、西脇順三郎などの語学の天才とされた人々を紹介し彼らが語学学習者としての最高地点というものを示しながら、ある一定上の語学力に達するためにはまずは膨大な文法理論の習得を目指すべきと説く。天才たちの知的探求心のレベルの高さにおののきながらも著者の言わんとしていることは勉強は平凡で地道なものを徹底的に重ねているにすぎないということと理解した。前半からところどころで参考書の文献は紹介されており、結局受験勉強が大変役に立つのだということを示されている。結局そこに行きつくのかと思うと後悔また自責してしまい落ち込んでしまう一方、やれることは地道にやるだけという覚悟もできる。なので自分自身は文法の勉強と精読にこれから力を割こうと決意した。一方で英語の本を読み続けるのはやっていきたい。毎朝研究を始める前に必ず30分の教科書を読んでいるが真面目に読むと1-2ページしか読めず一年で一冊しか読めないことになる。物理学の場合は英語が読めないのか数式や論理が理解できないのか微妙なところもあるが、気の遠くなる作業であきらめたくなるがこれしか道はないのだなと最近覚悟を決めた。著者の言うようにとにかく英語学習においてはどこかの段階で覚悟を決めて、緻密に分類された文法知識を大量に身につけなければ、普通の人は高みに達することができないのだという。今まで逃げてきた自分が情けない。大量に読んで聞けばなんとかなると思っていたが、これからはきちんと勉強します。
その後、読むことに話が移っていく。文法の基礎力を固めたら読解演習だと説いている。読む、聴く、書く、話すの四つの技能のうち、読むがすべての基本だからだ。読めるからこそ、聴けて、書けて、話せるのだから。前半でも文学の理解が語学習得の最終地点であることは間違いないと言っている。またそこに行きつくまでは地道な語学的鍛錬が必要なのだとも。高い読解力は聴く、書く、を高いレベルで行うための前提の力であると言ものでなく、現代においてはこれまで以上に不可欠なものになっているという。
これは我々物理学者でも同じで現在では簡単に論文がアクセスできるようになってきているし研究者の数も過去よりも多い。まずは論文を検索して今まで研究がされていないかどうか調べることもある。また最近の論文の参考文献は以前よりも多いと感じる。研究者も論文をこれまでよりもたくさん読んでいる。しかし高い読解力は物理を理解する力と英語を理解する力両方があり、物理の論文ではもしろ物理の理解の方が大きいように感じるが、常に思うことはきちんと読解する重要だということ。物理のような科学の場合、きちんと物理を理解したら必ず疑問や次への研究のアイデアが生まれてくる。さらに著者の意図や研究の方向性なども見えてくると研究が楽しくなってくる。一方で論文を読むのは仕事ではない。論文を読むのは仕事の準備段階だ。論文を読むのは過去の研究を知る勉強で、それから先に進む研究ではない。しかしながら、過去に積み上げられた研究はたくさんあるしそれを理解しなければどういう研究をするかというスタート地点にも立てない。なので大量に読まなくてはいけない。限られた研究の時間では論文を丁寧にゆっくり読む時間を取れないような焦りが出てくる。私はここにきてやはり急がば回れで論文をしっかり丁寧に読むということをやり直したい。そしてより良い論文を書きたいと思いながらたくさんの論文を読んでその読解の質をあげていく努力を続けて行きたい。
その次には語彙力。余り特筆してここに書きたいことはないが語彙力は自分なりには結構発音と一緒に数年頑張ったが僕個人的には熟語が弱い気がしている。熟語が問題なのは意味が分からない場合全く意味が予想できないから覚えるしかない。著者が推薦していたいくつかの本を読み直して覚え直そうと思う。単語耳で8000語を何百回も発音続けていたのは30歳前後であの時には単語しか覚えていない。単語は文章が読めなくなるほどわからないことはほとんどないが熟語実際に出てきて意味が分からないこともあるので復習をしておこうと思う。
その後は音読と筆写を行うことによって英語のセンスを鍛えることを鍛えられることが書いてある。音読は環境の関係であまりしなくなったが前はかなりした気がする。筆写が良いというのは今まで考えたことがなかったのでコツコツと良い英文を見つけてやっていこうかと思う。ここは自分自身は英語で読んだ本を英語でレビューするということをしようと思う。今まで一冊読んだらレビューしていたがこれを章ごとにすることによって本の理解と筆写を兼ねられるかもしれない。何度もやれということだが発音と同じで英文をきちんと身に沁み込ませるという作業なのだろう。
その後私が興味を持ったのは第八章のネイティブスピーカーの限界と底力というところ。たぶん自分自身は本書で書かれているこのレベルなのだと少なくとも自分では思いたい。論文を書いて初稿の時点でネイティブにRead wellといわれたので意味は通じているみたい。ただし逆に日本人にネイティブに見てもらいましたか?って聞かれるので文法の間違えが目立つのだろう。ネイティブの上司を持ったことがあるが意外とネイティブに文法を直されるどころか僕ですらネイティブが間違っているのではないかと思ったところが幾度もあった。なんとこれが相手は雑誌のエディターレベルなのだ。なのでネイティブでも本気で読まなければ論文の修正は容易ではない。ただネイティブの底力といえば私の同僚で最も英語力があると思っているネイティブは同じ文字数で論文の内容を変えずに全体を書き換えられるほどの英語力がある。これを聞いたときにはさすがにこれは無理と思って、これからは彼に論文を見てもらいたいと常々思っていて、コツコツと自分の論文を書いていこうと思っている。アメリカにいたときの上司は英語ネイティブではないが相当の語学力の持ち主で彼女の論文は通りやすいのだ。物理で英語の論文を書いた場合はやはり物理で面白いっていう論文を書いて、ネイティブの人もこの物理は面白い何とか論文が通るようによい英語にしてあげたいって思わせなければきちんと読んでもらえないのだと思う。なので本職の物理でよい研究をする、そしてなるべく早く見てもらえる原稿を仕上げてたくさんいろんな人に見てもらう、そしてたくさん書くしか道はないのだろう。
第九章で英語に吞まれないためにという章がある。ここも面白くて英語推進派と反対派の対立があって両方論理は通っていることを説明している。なるほどなと思う。私は少し反対派の傾向があったがこれからはフラット寄りになっていくと思う。結局、英語ができる人は日本語もできるロジックの問題だというのは面白かったし。私に置き換えると良い物理かな。きちんと良い物理を確立できれば面白いことを書けると思う。結局は論理的構成力の差である。自分自身の場合も自分が組み立てた物理の成果がハッキリとしていれば書きやすい。この章では語学の天才の母語に回帰したことも書いてあり、レベルは違えども40手前にしてまた母国語で古典などを読み直している私には妙に納得できた。結局英語に呑みこまれないためには緻密に文法理論を学び、そのうえで理詰めで英文を読解し、同じような姿勢で英作文に取り組むということだ。ああ、今まで怠けていた自分が情けない。論文もなんとなくたくさんの論文を読んでなんとなく苦しみながらやっと原稿を仕上げていたがそれぞれ自分が書いているものに文法的な解釈をしながら書いたことないなと。それは文法に対する感度があがっていないことを示していてやはり文法を勉強して英語に戻ると感度があがっているからいろいろなことに気が付いたりする。やはり文法をたくさん勉強してきちんと読解して論文書いていきましょう。英訳と日本語訳についても書いてあってこれについては真面目に良い英文を見つけたら日本語に、良い日本語を見つけたら英文にしていこうと思う。それはこのブログに上げていくのも良いかもしれない。
最後にたくさんの参考文献があり、これは大変参考になった。英語でも語彙力や文法の勉強もしている。論文でも自分の文体を作るまでには程遠いがモチベーションはあがってこれからも楽しみながら頑張っていきたいと思えるようになった。これからも正攻法でコツコツ勉強しながら書き続けていこうと思う。