- 读:他喜欢读历史小说。
- 写:他的字写的很漂亮。
- 抄写:一个单词抄写三遍。
- 念:这个子怎么念?
- 学:我在大学学过汉语。
- 学习:学习外国的先进技术。
- 教:你叫我,好吗?
- 上学:你几点上学?
- 下学:学生们下学回家了。
- 留学:他去美国留学了。
- 进修:公司派我去进修。
- 考试:下星期考试。
- 工作:他在银行工作。
- 开会:明天开会讨论吧。
- 商量:大家一起商量解决。
- 负责:她负责销售。
- 出差:他经常去日本出差。
- 上班:我坐地铁上班。
- 下班:每天六点下班。
- 加班:偶尔会加班。
- 参观:我们来参观新工厂。
- 迟到:今天迟到了一刻钟。
- 请假:有是的话,可以请假。
- 放假:下星期开始放假。
Author: sin0928yano@gmail.com
Get the work done.
I am excited to work these days. I am doing great. As I wrote here a few days ago, I have been working on three goals in the next 4-5 weeks. The first and most important goal is finishing off my paper which should be ready by the end of tomorrow. I will give it to my friend to check my English. The 2nd goal is to write experimental proposals as many as I can. I should list up every proposal I want to write and finish them all. I only have 8 working days before the submission. I have to work harder now. And finally, the third goal is preparation for the next polarized neutron scattering experiment. I have many ideas but the important thing is to get the work done.
本のレビュー9③【人間の建設】岡潔・小林秀雄
数学と詩の相似
ここは物理学と数学が関係しているせいか話は深いがとてもわかりやすかった。まず小林が岡に対し、あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。自分の確信したことしか文章に書いていない。これは不思議なことなんですが、今の学者は確信したことなんか一言も書きません。学説は書きますよ、知識は書きますよ、しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実にまれなのです。そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人が稀なのです。そういうことをしている人は本当に少ないのですよ。フランスには今度こんな派が現れたとか、それを紹介するとか解説するとか、文章はたくさんあります。そういう文章は知識としては有益でしょうが、私は文章としてものを読みますからね。その人の確信が表れていないような文章は面白くないのです。岡さんの文章は確信だけが書いてあるのですよ。
まあトップレベルの数学者と他の学者を比べるとおかしいとは思うが。ここはおそらく岡も小林にも共通している世界で起こっている知力低下への問題意識が根底にあると思う。つまり学説や解説を書くことは学者の仕事としては一部のことでそれしか言えないということが知力低下という意味だろうと考えた。例えば登山家がエベレストなどに登山成功して、道具は何を使った、気温は何度だったとか、ルートはどこを使ったかなどだけをまとめるようなもので、例えば山に登るうえでどういう精神的な準備をしたか、登山の途中でどういうことを考えたか?、また山を登るとはどういう意味を持つのか?総合的に知情意の興奮が言葉として表現されていないと意味がないだろう。その経験から何を確信したか、確信したことを書いてある文章がたくさん文章を読んできた小林には響くということだろうか。その人にしか確信できなかったこととかを垣間見れると確かに響くのかもしれない。
ここには大変重要なヒントが込められていると思っていて、私のような物理学者でも確信から論文になる。いくら良いデータがそろっていても確信がなければ文章は書けない。一体このデータと過去の研究から総合して一体なにがわかったか?ということが確信していないと論文は書けない。一方ででそれがハッキリしている場合は書けると思う。少なくとも書きやすい。ショーペンハウエルも『読書について』で言ったようにその確信があって文章を書けるというのが第一級だ。おそらく研究者は自分の全部の書いた論文でこの部分が確信で書いたものだということは当てられるだろう。一方でショーペンハウエルの言う第一級には当てはまらないが書きながら考えるということもある。書きながら少しづつ考えて確信につながる場合もある。前者が第一級であることだろうが明らかに私は第一級ではないと思う。おそらくそういう人が大半なのではなかろうか?現実的にはこれら二つの論文は多くの人では混ざっているだろう。
この章の後半では数学について岡が続けて説明しているが、納得できるほど理解できなかったがおそらくこれまでの文章も含めておそらく数学者は詩人の様に全く何もないところから形も何もないところから形にしていく。物理学者の様に現実を説明するために数学的概念や理論を使うということがない。そもそも物理学者は自然が存在するという仮定があるが、数学にはそれに相当するものがない。全く何もないところから形を作っていく。なので数学者は生涯を通して研究していく中で自分のなかに数学史と数学体系というものがあるが、物理学者にはそれがないのだろうと。
はじめに言葉
ここの章では西洋哲学側からみるとカント哲学的理性の働きをかいていると思っていて数学でも行き詰まりと解決の繰り返しがあることを言っていて問題が解けた後に新たな問題が出てくるとか行き詰まることでその中心的な問題がとけなければ次に進めないということがあるが、基本的には後戻りはないということだ。まさに理性の働きの別の見方だと思った。
その後は教育の話になっていて教師の給与が安いことが書いてあり。まさに現代でも全くそうなっている。日本というものは全く変わっていないのだろうな。
また面白かったのは、岡という天才数学者がいうには方程式が最初に浮かぶことは決してありません。方程式を立てておくと、頭がそのように動いて言葉が出ていくるのではありません。ところどころ文字を使うように方程式を使うだけです。というのは面白かった。物理でも結局そうなんだ。結局言葉があってそれを表現する方法として数学を使っているに過ぎないのかもしれない。
近代数学と情緒
ここは数学の話になっていて岡が多くを説明しているが数学のことはわからないでも岡がもっている数学者として数学のマップと歴史感みたいなものがあってそれを元に話しているような感じがある。数学は大きく分けて幾何学、代数学、解析学があって岡は解析学だと。解析学で主体になっているものは関数で、19世紀になって複素数というものがよくわかってきて急激に伸びだしたという。よくよく考えると今まで学んできたこともこういった数学の準備をたどってきたようなものなのでこういった大きな流れを知って勉強ができたならよかったのになと思うが、今からでも遅くないのかもしれない。。ちゃんと大きな流れで物理に向き合っているのだろうか?私は。。。
記憶がよみがえる
記憶について二人で語っているが難しかった。我々が記憶として持っている記憶以上に原始時代から原体験としてつないできた記憶があるのかもしれない。結局人はそこに立ち返ることになるのだろうか?
批評の極意
ここで小林がプラトンが好きだというところから話が始まって、小林が好きな理由は、大変簡単なことでして。あれ、哲学の専門書じゃないからです。専門用語なんてひとつもありません。定義を知らないものにはわからないという不便が無いからです。こちらが頭をハッキリと保って、あの人の言うなりになってれば、予備知識なしに、物事をとことんまで考えさせてくれるからです。
いままで食わず嫌いだったが読んでみようと思った。単純に。
そこから会話は日本人について人ある。神風について言及し、あれができる民族でなければ世界の滅亡を防ぎとめることはできないとまで思うのです。と岡が言う。現代人の日本人としてはちょっと危険な思想かなと思ってしまう。時代がちがうのだろうか?表面的には欧米人と日本人の考え方の違いが議論されてあってこの本のテーマでもある個人主義とか小我についてとらえ方違いが述べられているが今は彼らのような考え方をすると少し差別的な気もした。日本人として欧米人に比べて小我にこだわっていないかといわれたら正直難しい。日本人にしかできないアートや小説、音楽などそして日本人にしかわからないそれらというものがあるのだろうか?宗教観や哲学などこれまでも話も総合して我々日本人は何を見ていて原点に戻るそしたらどうなるのか?西洋的な考え方以前の我々日本人に固有な考え方などはどういったものだったのだろうか?今どう残っているのだろうか。じわじわと効いている。これはよくありがちな議論に行きつきがちだが考えてもみようと思う。物理の場合は日本人らしい研究っていうのはあるかもしれない。
素読教育の必要
素読というのは江戸時代の学習方法の一つらしいが、朝早く先生のもとに集まり意味の解釈を加えず文字を大きな声で読み上げるという。
現在で言うと輪講と音読の会みたいだろうか?ただ解釈はしないらしいから音読の会かな。昔は四書をやっていたみたいだが今は本が多すぎて何をやっていいのかもわからないが。今でも専門書でも全く関係のない読書会でも勉強会をする機会が減ってしまった。大学の先生だと教えながらこういったことを図らずともやっているのかもしれない。こうやってブログを書いているのは少しでも本から学ぶものをよりよく整理し自分の言葉に直すことによって脳に定着させたいという意味でやっているがやっている感じだと少しは意味があるのかもしれないと思う。学習できる環境というものは本当に大事だなとも思った。SNSやメタバースまである現代では少し形が異なるかもしれないがここに書いてることを参考に自分も学び続ける環境を作っていきたいと思う。
ここまでで本編は終わり。かなり考えさせられる本であった。こうやって書きながら読むことで少しは深く読めたがそれでもまたざっくりと読んでみたいという感覚もあるし、何度も深く掘り下げていきたいなと思っているところもある。正直僕の感覚だと小林秀雄が言っているところの方が難しく、岡潔が言っているところの方が理解できた気がする。理系なので仕方がないのかもしれないが小林が私にはまったく見えていないものが見えているのだろうと想像しておくことは大事なことだと思っていて。僕自身が行っている考え方で見えないこと想像できないことがあってもそれが存在しないという意味ではない。他の人が意味を見つけている可能性があるというのは常に意識として持っておきたいと思った。さてさてこれからもたくさん勉強していきたいと思わせてくれる本だった。。
中文:第六课(全二十课)
甲:这儿是美术馆。
乙:这里有什么?
甲:有很多名画儿。这里经常有各种美术展览。
乙:那儿有很多孩子。
甲:那儿是动物园。
乙:动物园里有熊猫吗?
甲: 有。孩子最喜欢熊猫。
乙: 这一带还有什么?
甲 :有图书馆,博物馆和剧场。
Do it one by one.
I am doing great. But I am not focused. I have three things I want to finish in the next 4 to 5 weeks. The first one is finishing up the current paper. The paper is almost finished but I have to check and make sure everything is ready for sending to my collaborators. The second one is the proposal deadline. We have the next proposal round on February 15th. I am writing several neutron scattering experiment proposals and I am excited about doing this. I have many projects I am currently interested in but I do not fully understand all of them. I have a great number of single crystals we can get I can see each I can do a good job to publish data. To do that, I have to investigate one by one. Finally, I have a polarized neutron scattering experiment in March, I should prepare for it. This time, I will investigate in detail the magnetic structure of some Fe oxides if I could succeed I can write a great paper I believe.
I am excited but I have to focus. I will do it one by one carefully.
最近、研究が楽しい。
日曜日の夜。週末はよく休めた。昨日はクロヌラビーチでゆっくり過ごせたし、今日は買い物をし美味しい料理を食べることができた。ただし暑いので食欲はあまりない。ここまで暑いとあまり考えることもできないがこれからの研究についてまた明日からへの準備として書いていきたい。
これから5週間ほど論文とかプロポーザルの執筆に集中できそうな時間がある。ここをどう活用するか?主に3つのことがこの5週間で重要なことである。
まずは論文が一応完成しそうなところに来た。これについては今週毎日丁寧に読んでコメントなどを直しながら完成させていきたい。これは今週終わらせる。本当にこれだけに集中してもいいかもしれない。そしたら英語を見てもらって再度共著者に配布したい。そのコメント後に投稿する。2月中に投稿できるように最大限頑張りたい。今年は5月までに重要な論文は目どころを付けおきたい。理想は3つ投稿したいところだがどうなるか?
次に我々には2月15日締め切りのプロポーザル提出期限がある。これに対して自分の装置に対して少なくとも2つできれば3つのプロポーザルを出したいと思う。これを頑張るとするとやはりあと11日-12日の仕事日の中で集中して終わらせていくしかない。一つづつ終わらせていくことが大事で前に『企画』という本で学んだように毎回毎回がプロポーザルの締め切りにきちっと企画として終わらせていくことが大事で研究者として重要なことだととらえている。あとは自分の装置に出してもらいたい課題は最大限サポートして装置の成果もたくさん挙げていけるように頑張っていきたい。
最後に5週間後にある実験の準備である。今回は偏極中性子散乱実験なのできちんと準備をして望んでいきたい。今回はどんな実験をするか綿密に計算を見直して準備をしたい。ちゃんと成功させたい。それを元にまた他の実験も挑戦したいのでこれを機に偏極中性子散乱実験に対する知識を深めておきたいのでしっかり準備しておきたい。
これら3つはすべて大事。ただし締め切りがあることから少々複雑だが、この三つの課題を総合的にとらえてこれから一日一日準備して過ごしていければと思う。まずは論文を終わらせる、そしてプロポーザルを準備しながら実験の準備をしていく。
最近は研究が楽しい。一つ一つは簡単ではないがこれからも研究をしていくためには一つ一つの論文を終わらせていくこと、一つ一つのプロポーザルを書いていくこと、実験していくこと、解析していくこと。これらをどんどんしていってより深く楽しく物質を見ていけるように今週からまた研究できることを楽しんでやっていきたい。論文を終わらせることは大変だが頑張る。いろんな物質を勉強してプロポーザルもたくさん書いていく。そして実験する。頑張るぞ。
中国語単語(Chinese Verbs)⑥衣食住⑦社交
⑥衣食住
- 穿:穿了一件厚毛衣。
- 脱:吧大衣脱了吧。
- 戴:上小学时就戴眼镜了。
- 吃:我想吃饺子。
- 吃饭:吃饭了吗?
- 尝:你尝尝咸淡如何?
- 喝:你想喝什么?
- 减肥:一定要减肥。
- 住:你住了几年了?
- 住在:你住在哪儿?
⑦社交
- 姓:你姓李,你呢?
- 叫:你叫什么名字?
- 等:我在车站等你。
- 参加:参加朋友的婚礼。
- 认识:我认识他。
- 碰见:今天碰见了老同学。
- 介绍:我来给你介绍一下。
- 请客:今天我请客。
- 送:我送他生日礼物。
- 送给:我吧票送给你。
- 送礼:春节时大家互相送礼。
- 关照:请大家关照一下。
- 欢饮:我随时欢饮你。
- 看望:他经常来看望我。
When are the happiest times for scientists? Dreaming.
Get ready for the experimental proposals
Once in six months, we have a proposals deadline. We are accepting the experiment proposal for neutron scattering experiments all over the world. I am in charge of a cold triple-axis spectrometer so I want to collect very interesting experimental proposals every round. Also, I have to make sure that the experiment is suitable for our instrument. There are many things to consider.
Firstly, I have to make sure we can cover the range in momentum and energy space we want to explore with the material. Secondly, I personally like large single-crystal very much because we can many things to explore. Also, if the single crystal is rare, that would be great. Thirdly, we would like to study neutron inelastic scattering or neutron scattering with polarized neutrons because these are our advantage so I can use my expertise there. There are only a handful of instruments can do what we can do. Finally, I would like to study high-quality science. That excites me. How do I know that the quality of science is high? I know when I saw it!
But sometimes, finding a good science before we actually do the experiment is hard. In that case, the easiest one is finding something new, such as new single crystals or single-crystal no one has done the neutron scattering experiment, especially on inelastic neutron scattering or polarized neutron scattering. Then, we can at least find something new. So it is worth publishing. When we have a new single crystal, I am very happy but the first thing I have to make sure of is what people already have studied for the material. If there is not, I need to know why people have not measured yet. So I do literature surveys on the material and see what we can do on that material.
This time, luckily, it seems we have too many single crystals, this is too much overjoying. Several professors offered me to study single crystals to investigate and I can pick up whatever the single crystals? What? I am very happy but I have to spend substantial time to do the literature survey and estimation which single crystals sample work for us. This is one of the happiest times for scientists. I think when we are making plans is the happiest time and when we are finishing the first draft of the manuscript is the hardest time.
So luckily, I have many ideas to finish off writing my proposals while I am helping others to write this round. I have to do the calculation and the data analysis as well. I am very happy but it is a bit overwhelmed. I am not sure I can finish all the writing before the deadline which is two weeks time.
I will do my best. For this blog, I can’t disclose my ideas at this point. However, I am thinking I could try to write all processes of one of the projects before I will write the manuscript. As you know usually scientists do not show them but this could be a test. By doing so maybe others can read my progress here online, so I have to push myself harder to finish my own paper. I think this is an idea to try.
本のレビュー9②【人間の建設】岡潔・小林秀雄
破壊だけの自然科学
この章では岡が特に現代物理学における数学者の立場からの批判について書いてある。特に相対性理論について数学的立場からの批判を行っている。僕の理解不足か勘違いであるかもしれないし1965年以前のことだからしれないが岡の批判は当てはまっていないと思う。岡は相対性理論が実験不可のものであるから、物理学が近似的に実験が可能な物理学公理体系から超越的な公理体系になってしまい、物理が知的に独立していないという。彼は現在の物理学は数学者が数学的に批判すれば、物理学ではない。なんと言いますか、哲学の一種ですか。という。
そこで自然科学は破壊の科学で建設は何もしていないという。現代にいたってはなかなかこれには同意できないが、批判されることに対しては感謝できていろいろなことが考えられる。数学者と物理学者はまだ話していないと言っているが現代でもそのような気がするが。。残念ながら。でもトポロジーとかは少し進んでいるのか。僕もすこし考えやネットワークを広げなければと思う。数学者、物理学者、化学者とか分野にわたって喧々諤々と議論するっていう場面は現代ではあまりないしそれはこの時代からすでに始まっていたのかもしれない。そう考えると自分の物理学の研究でも新しい見え方とか自分にしか出来なさそうなこと一生懸命数学者とコラボしてみるとか考えられるな。。少し頭にとどめておきたいところ。
岡がいう。大きな問題が決して見えないというのが人類の現状です。物理で言えば、物理学的公理が哲学的公理に変わったことも気づかない。
ここでの批判は現代でも起きていることでもある。最近気になって読んでいたのはLost in Mathという本ですこし前に読んだので内容は忘れてしまっていたが基本的には対称性にというものに取りつかれて標準モデルを構築している理論物理が実験結果をうまくとらえられていない。物理学の立場ならば実験結果があればそれに合うように理論を再構築しなければいけない。しかし自然には美しい対称性があるべきだと思い込み受け入れられないということが現代でも起こっている。自然は我々の視点とか美意識でみてあるべき姿でいるわけではない。しかしそうと思いこむんでしまう。自然は美しく対称的であると。いままでもそれで沢山のことが説明できてきたと。しかし、そしてそれを元に学理を構築しようという試みはすでに物理学ではなく哲学の一種であるという批判が当てはまってしまう。よく考えると物理学はこういった状況に何度も歴史上見舞われてきてそれでも進化してきたのかもしれない。物理学は実験と理論双方があって理論が実験をないがしろにせずに学問を構築していくからこそ物理的公理体系であるということか。やはり。
アインシュタインという人間
おそらく岡は物理学者が嫌いだ。自然科学が弊害が多いと思っている。おそらく岡も小林も物理学をわかっているとはこの本を読んでいるうえでは思えないが、一つの発見としてはこの時代でももう専門分野で分断は起きていることがあるように思う。正直、岡も小林も無明と知性の低下を批判しながらも自らここに落ちてっているのではないかとすら思う。この本のテーマと彼らの会話を聞きながらやはりいろいろなことを学んでおいて学問もある一程度の余裕を持ちながらやらないと逆に当たり前のことに気が付けないようになっていくのではないかと思った。ハイゼンベルグの原理にしてもあの時代、ハイゼンベルグをはじめとする理論物理学者とカント派哲学者の対決を見ていてもまだまだ物理学者の量子力学の哲学的解釈もできていなかったし哲学の量子力学の理解も進んでいなかったことをハイゼンベルグの部分と全体を読んで思っていたが、数学と物理はそれ以上の差があったのかもしれない。あの頃はまだそういう時代だったのかもしれないと岡と小林の話を聞いていて考えた。
美的感動において
この章は正直あまりわからなかった。詩と絵について話をしているが両方とも疎いせいか話が分からなかった。
ただ、岡が章の最初に書いていた、日本は、戦後個人主義を取り入れたのだが、個人主義というものは日本国憲法の前文で書かれているような甘いものではない。それに同調して教育まで間違ってしまっている。その結果、現状はひどいことになっている。それに気づいて直してもらいたい。
ここには本書の最初から続く個性というものがわかっていないという二人の考え方がここでも続いていることがわかる。いろいろなテーマでものすごい情報量で話しているが根柢の問題意識というものは一貫しているという気がする。
人間の生きかた
ここでは人間の生き方というところではあるが主に文学特にトルストイとドストエフスキー、日本人は本居宣長などについてはながら理論とか体系とかは欧米から学んだものでもともと日本人には首尾一貫して理論をこしらえるなんて考えがもともとないんだということを小林がいう。
小林が言う。僕らも不思議なことだが、振り返ってみますと、20代でこれはと思ったことは変えていませんね。それを一歩も出ないのです。ただそれを少し詳しくしているだけです。
うーむ。なるほど。わかる気がするがわかりたくない気もする。研究を進めていくうえで博士論文の時にやったことがとても後々に影響することと同じことか?あの20代の頃に考えていて疑問に思っていたことの延長上に生涯の研究のキャリアがあるのか?ここはこの言葉についてよくよく考えておこう。むしろそこから抜けられないのであればこれまでの研究をしっかり復習して再度研究の行く先を見るということも大事かもしれない。新しいことをどんどんやりたくなっても来るがそもそも何がしたかったかと見直してみようと思う。物理で何が楽しいと思っていたか?なんで研究しているか?自分の性格も含めて時々考えてみることは結局、専門性と個性を見つめ直すことになり、研究者として重要なことだと考えるようになってきた。
批評家である小林がトルストイとドストエフスキーが両方とも偉いし、それは数学者である岡がリーマンとポアンカレどちらが好きかと小林に論じたって仕方がないですよといっていてこういう感覚は大事だなと思った。とにかく学者としても作家としても素晴らしいものを生み出したことは素直に受け入れてどのような分野でももう少し感覚的に評価していいのじゃないかって思った。この本を読んでいることがまさにそうだが。学者としての態度をここら辺の二人の掛け合いから学んだ。
無明の達人
ここではトルストイとドストエフスキーの話の続きながら、無明がテーマになっている。無明を知らないとむしろ極めないと物が見えない。ドラマにならないという。面白かったのはその後の議論でピカソもスペイン人を理解しないとわからないなと小林が言ったところから、やはり日本人には結局日本的なものしかわからないのだと岡と小林は言う。日本人が知れるものはやはり我々に関するものかもしれない。そういった点で前の章の本居宣長の話を思い出し、日本人はそもそも理論と体系なんて気にしなくて自分たちの考えを発展させてきたものだし、理論とか体系というのは西洋文化から借りて学んできたんだなということにもつながった。
いずれにせよ。文学を読んでこういう風に議論できるのは楽しいと思うから、やはり本はたくさん読んでおきたいなと思う。旅行もたくさんしておきたい。いろんな疑似経験、実経験をしていくと楽しくなるのだと感じる。
一という概念。
ここでまた数学的哲学的な議論に戻っていく。小林が数学者における一という観念という形で話し出したところで流れが変わる。岡は一を仮定して、一というものは否定しない。一はあるのかないのかわからないというが哲学的には一という数学的観念はPrioriであるということだろう。つまり一という意味とかなぜあるかというものは理性ではわからない。
そのあと議論は2や3など順序数の話になり、そうやって一から増えていく。単細胞から20億年かかって進化した人間については何もまだわかっていないよねという話になってくる。天才が生まれるのは環境か遺伝かという話になるがここら辺は現在の方が知見は溜まっているだろう。しかしいつの時代でも重要な議論なのかもしれない。議論としてはシンプルだがそれを話すのに科学、宗教、哲学の知識にわたってさらっと議論できるのが情報の密度の高さを示している。
ここらへんで3分の2ほどで今回はここらへんで終えようとおもう。次回は残りの部分を読んで書いていくつもりである。
中文:第五课(全二十课)
甲:你们有中文课吗?
乙:有。你们呢?
甲:我们也有。
乙:你们的课本是不是「初级中文」?
甲:不是,是 「基础中文」。
乙:我们的是 「初级中文」 。你们的课本有没有插图?
甲: 有。
乙: 我们的课本只有文字,没有插图。
甲 :有词汇表没有?
乙: 有。
甲 :那很好。